2010年10月29日金曜日

地名の由来~東京編 Part 2

五反田(ごたんだ):五反の田んぼがあったから、五反田になった。

赤坂:赤い土の坂があったから、赤坂という。

丸の内:「丸の内」の丸とは城を意味している。
丸とは城のある場所
本丸とは城主が住むところ
二の丸は近親者が住むところ
三の丸は家臣が住むとっころ
地図を見ると、現在の丸の内は内堀と外掘の間に挟まれた
江戸城の三の丸の内側であることがわかる。
三の丸には譜代大名(ふだいだいみょう)の屋敷や奉行所などがあった


日本橋兜町(かぶとちょう)
「兜町」の兜とは平安時代の豪族-平将門(たいら‐の‐まさかど;不詳~940年)の兜を埋めて
塚にしたことに由来すると言われている
平将門の首を討った藤原秀郷がその首を京都へ運ぶ際
将門の首に添えていた兜を土中に埋め、塚を作って供養(くよう)したという伝説が元である

日本橋は元々「二本」の木を渡した橋だった。
江戸時代に単に木を二本渡しただけの橋だったことから「二本橋」と呼ばれていた
それに徐々に改修されるにつれて、現在の日本橋と呼ばれるようになった、と言われている。
石造りの二連アーチ橋でしっかりとした構造。

千代田区御茶ノ水
「御茶ノ水」という地名はこの辺りの水を将軍に献上(けんじょう)したことからついた
千代田区神田駿河台(かんだするがだい)を中心とした一帯の通称である
神田山の麓(ふもと)にあった寺の境内によい水が湧く(わく)井戸があり
将軍・徳川秀忠(1579~1632)の茶を点てるのに使われていたことから地名がついた。
神田駿河台:東京都千代田区の地名で、一丁目から四丁目まである
もとは本郷台地と連続していたが、江戸時代に神田川の開削によって分離した。また、削って下町を埋めた為に、今では台地では無い所もある。 略名として、「駿台(すんだい)」の呼び名も存在する。

両国国技館がある場所の地名は「横網」(よこあみ)である
横網:漁師町だった昔からの地名。
この辺りで海苔がよく獲られ漁師が横に網を干していたことから名付けられた


新木場とは新しく埋め立てられ、輸入した木材が置かれていた場所という意味である
昭和47年に14号埋立地という名前から改名、
その翌年、本来の「木場」という名前の土地から木材業者の大部分が新たに移転してできた地が新木場である

品川区戸越銀座(とごしぎんざ)
商店街で知られる戸越銀座の戸は江戸を意味している
戸越:江戸の端っこ、江戸に出入りする際に踏み越える地という意味で名付けられたと言われていた。
もう一つ説があって
1923年の関東大震災後、銀座の瓦礫をここに運び、低地を埋め立てたことから『戸越銀座』と命名された。全国各地にある「○○銀座」の第一号でもある。

江東区夢の島
夢の島には元々元々空港を作るという夢があった
昭和14年国際飛行場の建設を目指して埋め立てられたが
戦後、この計画は消滅し、一時期は海水浴場となった
その後、遊園地を建てる計画も浮上(ふじょう)したが、
結局ゴミ処理場として利用されるようになった

中央区晴海埠頭
晴海ふ頭は縁起をかついで名付けられた。
元々は東京湾埋立4号地→いつも「晴れた海」であることを願って「晴海」と名付けられた
このように、新しい地名は縁起のいい名前にすることが多い
縁起のいい数字として知られる「8」を使った地名も多く存在する。

赤坂見附(あかさかみつけ)
見附とは城の外側の囲い(かこい)に位置し、敵の侵入を発見するために設けられた(もうけられた)門
江戸城には36の見附があった。
赤坂見附以外、東京にある見附また四谷見附、市ヶ谷見附などがあります。
補注:
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附、市谷見附などがある。
現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。

御徒町(おかちまち)とは身分の低い侍が住んでいる町という意味である
徒(かち):乗り物に乗らずに足で歩くこと
江戸時代、馬に乗るほど偉くなかった徒侍(かちさむらい)が多く住んでいたことからついた地名
現在は町名としては消滅し、台東区台東・東上野の一部となっている

日本橋人形町
人形町とは人形劇をする人たちが多く住んでいたことから名付けられた地名である
人形町かつて劇場街であり、歌舞伎、浄瑠璃(じょうるり)操り芝居などが行われていた
そのため、人形遣いや人形芝居の関係者たちが数多く住んでいた

八王子とは「神様」の8人の子供にちなんで名づけられた
仏教の守護神(しゅごしん)である牛頭天王(ごずてんのう)と8人の子孫を祀った(まつった)八王子神社が地名の由来である
ちなみに、牛頭天王は
天王洲アイル駅の天王洲など、日本各地にある天王と名のつく地名の多くの由来となっている

地名は歴史にも影響を及ぼ(およぼ)している
日本の時代の名前で東京の地名から名付けられたのが、弥生時代(やよいじだい)である
1884年東京都文京区にある弥生町から縄文時代(じょうもんじだい)のものとは異なる(ことなる)土器が発見された、町の名前から、弥生式土器と命名された
ここから弥生時代という歴史用語が生まれた

神話にまつわる地名
世田谷区代田(せたがやくだいた)は巨人の足跡だという伝説がある
日本の各地で伝承される巨人「ダイタラボッチ」から名前がついたと説である
このような伝説は全国各地にあり、山や湖を作ったという内容が多い事から、
元々は国づくりの神であったと考えられている

六本木の近くにあり 飯倉
飯倉(いいくら):米を蓄える(たくわえる)倉があったことから付いた地名、現在の地名は「麻布台」(あざぶだい)
飯倉という地名は大化の革新(645年)の頃についたと言われている
大化は日本最初の年号、つまり、飯倉は日本という国ができたころからあった、古い地名だと考えられています。

港区麻布十番
麻布十番の「十番」とは10番目の工事地区だったことに由来する
江戸城の近く流れる古川の修築工事をする際
河口から数えて10番目の工区だったことから十番の地名が残った
ちなみに
麻布十番納涼祭:約60万人が訪れる(おとずれる)、東京で最大級の祭りが行われる一番の街

世田谷区上野毛(かみのげ)
上野毛の「野毛」とは崖という意味である
野毛は崖を表す言葉、多摩川によってつくられた、崖の上に当たる地域であったことから付いた地名
補注:
古く「ノゲ・ニゲ・ヌゲ・ナゲ」は「崖」を意味する言葉。当地が国分寺崖線であることからか。その崖の上に当たる地域であるから「上野毛」とされた。

武蔵野市吉祥寺(きちじょうじ)
吉祥寺に吉祥寺という名前の寺はない
江戸城に吉祥寺という寺があったが、1657年の明暦の大火により焼失してしまった
寺の門前に住んでいた町人らが、現在の武蔵野市付近に移住し、昔を懐かしんで付けた地名が吉祥寺である

世田谷区等々力(とどろき)
等々力渓谷周辺の崖から地下水が噴出し、崖の崩落(ほうらく)が多かった
崖の崩落の音と滝の音が轟い(とどろい)ていたことから付いた地名
東京都23区内に唯一の渓谷

2010.03.10 百識王 OA