2010年9月10日金曜日

何歳まで銭湯で男女が混浴できる?

銭湯で混浴できる年齢は条例で各都府県によって決まっている
東京は 9歳まで
北海道 11歳まで
宮城県 9歳まで
愛知県 7歳まで
大阪府 9歳まで
福岡県 9歳まで
千葉県、群馬県、広島県などは年齢を定めていない
浴場銭湯の判断で子供と認められれば混浴できる

江戸時代の公衆浴場はほとんどが男女混浴だった(何歳関係なく)
法律によって銭湯が男女別になったのは明治23年から、当時は7歳まで

下記はWikipediaの混浴について記事
古くは、大きな湯船の共同浴場は一般的でなく、大きな湯船といえば天然の温泉が溜まってできた野湯であった。そのため、男湯・女湯という概念はなく、混浴は、自然発生的にできたものである。下帯(褌)や腰巻を着用したうえでの入浴という習慣も存在しており、裸の入浴は江戸時代以降という説もある。
時代が下ると、温泉地では、泉源から湯船まで温泉を引いた今で言う共同浴場もできてきたが、まだ、男湯と女湯の区別もなかった。
江戸時代に入ると、大都市で銭湯が大衆化した。銭湯に垢すりや髪すきのサービスを湯女(ゆな)にやらせる湯女風呂などが増加した。松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出すなど、風紀の取り締まりの対象にもなった。これは混浴そのものよりも、湯屋における売買春などを取り締まるものであったと言われる。当時の湯屋は二階に待合所のような場所があって将棋盤などが置いてあり社交場となっていただけでなく、湯女などによる売春や賭博などの格好の場となっていたためである。
しかし依然として混浴が主流であった。1853年、混浴銭湯に冷や水を浴びせる出来事が起こる。幕末の黒船来航である。さまざまな日本文化は来日したペリーを驚かせた。裸でぶつかり合う相撲などもそうだが、特にペリーを驚かせたのは混浴銭湯であった。「日本遠征記」には挿絵付でこう記されている。「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない。他の東洋国民に比し、道徳心がはるかに優れているにもかかわらず、確かに淫蕩な人民である」。明治新政府は、欧米への体裁を気にし、混浴禁止令を出す。都市部では取締りが強化される。しかし、なかなか改まらないため、混浴禁止令はたびたび出されたが、完全になくなったのは明治末期になってからであった。それでもなお、地方の温泉地などの多くでは混浴が当たり前という時代が昭和30年代まで続く。
高度成長期以後、都市部の住民が地方の温泉地を訪れる機会が増え、混浴という風習を知らない(受け入れない)観光客が増加したため、多くの旅館やホテルがそのニーズに応えるべく、浴場の増改築(男女別化)など施設の近代化・巨大化に取り組んだ。 その結果として昭和40年代以降、混浴は減少の一途をたどることとなった。 浴場や入浴施設の許認可権限をもつ保健所が、新規の混浴施設建設に対して頑なな対応をとり続けることも、減少に拍車をかける一因となっている。なお、九州地区では未だに混浴設定が残っている温泉も多く、現時点では条例による規則を設定していない。