2010年9月26日日曜日

運動会百識

日本で最初に行われた運動会はストレス解消が目的だった
日本最初の運動会は明治7年(1874年)3月21日 東京築地の海軍兵学寮で開催
兵学校、設立当初の生徒は、髪はまげ、服は羽織、袴(はかま)、草履(ぞうり)
兵学寮規則によって、断髪、洋服、靴になる
さらに、起床から就寝までの行動が細かく規定されていた
不満が募って(つのって)いた
そこで、海軍兵学校の英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジ(1854~1889・イギリス)
イギリスではアスレチックスポーツという、体育とレクリエーションを兼ねた(かねた)ものがある、日本でもやってみるべきであると提案
その名も「競闘遊戯会」、現在の運動会の原型が行われた

運動会で赤白の2チームに分かれることが多いのは
日本史の源平の戦いに由来する
平安時代末期に起こった源平合戦(1180~1185)で
源氏の旗の色が白、平家の旗の色が赤
2チームに分かれて戦うときは、白組、紅組が定着したと言われている

陸上競技のスタートにピストルを使う理由は
正確にタイムを計るためである
ピストルは音と同時に煙も発生させる
音は光より遅れるため記録員は煙を見て記録を計る
100m走の場合スタート地点からゴール地点まで、音が届くのに約0.3秒もかかる

運動会の定番曲は郵便馬車が駆け回る様子を描いている
クシコスの郵便馬車:ヘルマン・ネッケ(1850~1912・ドイツ)作曲
郵便馬車が慌ただしく走る様子が競走のイメージと重なるため運動会で多用されるようになった

パン食い競走は運動会をするための場所を確保するために行われた
明治時代に文部大臣が学校で運動会を行うよう命じた (初代文部大臣森有礼もりありのり1847~1889)
しかし、学校制度が確立されたばかりで
各学校には運動場の設備がなかった
運動会は寺や神社の境内で行われることが多かった
境内の使用には氏子(うじこ)檀家(だんか)などの許可が必要だったため
彼らが参加できる競技を作ることになった
パン食い競走や玉入れなどが生まれたのである

防衛大学校の運動会開校祭で最も有名な競技が棒倒しである
開校以来の伝統を誇る競技
「開校祭」の競技の中で最も激しく(はげしく)勇ましい(いさましい)と言われている
日頃訓練している戦術や組織力などの実力を試す場となっている


騎馬戦や棒倒しを運動会で行うのは
明治時代の自由民権運動の一環だった
自由民権運動:明治時代国会がなかった頃に国会を開き憲法を作ることを主張した政治運動
当時は街道での演説やデモ行進が法律で禁止されていたため
運動会の中で自分たちの主張を表現
こうして生まれたの種目は
政権争奪騎馬戦(せいけんそうだつきばせん):誰が政治のリーダーになるかを競う(きそう)ゲーム
圧政棒倒し(あっせいぼうたおし):当時の政府を倒す意味をこめて棒を倒した
競技を見せながら自由民権運動を国民に広めることが目的だった

玉入れが最も盛んな都道府県は北海道である
1996年全日本玉入れ協会成立日本で初めて玉入れに公式ルールを制定
全日本玉入れ選手権:毎年9月に行う、全国各地からエントリーした120チームが参加
地域イベントスポーツとして広がり、関西・九州協会も発足

借り物競走の参加人数ギネス記録を持っている都道府県は北海道である
2010年2月、参加人数188人
北海道小樽3商店街大借り物競走
舞台は都通り・サンモール一番街・花銀の3商店街
ギネス認定条件:4名のチーム対抗戦で商店街で1点ずつ借り物をし3つの指定場所で写真撮影

綱引きは1920年までオリンピックの競技だった
1900パリ(フランス) 1904年セントルイス(アメリカ) 1908年ロンドン(イギリス) 1912年ストックホルム(スウェーデン) 1920年アントワープ(ベルギー)
現在では夏季オリンピックの翌年に行われるワールドゲームズの競技種目
団体戦・ルールが単純明快・公正化が図り(はかり)やすい
世界的にも広く親しまれている競技

フォークダンスはかつては動物踊りと言われていた
フォークダンス:アニマルダンスと呼ばれ、狩りの収穫(しゅうかく)を祝って
大勢で動物の動きを真似て踊られていた

マイムマイムはキリストの降臨(こうりん)の預言を歌った歌とも言われている
マイうマイム:イスラエルの讃美歌(さんびか)で原題を直訳すると「あなた方は水を汲む(くむ)」という意味
Mayim mayim be-sasson:「救いの井戸(イエス・キリスト)から水(福音)を得る」
イエス・キリストの降臨を歌っている

2010/09/22 百識王