2010年1月20日水曜日

地下鉄の百識

世界の地下鉄で年間の利用者数が最も多い都市は東京である
年間の地下鉄利用者数
一位東京 29億人
二位モスクワ 26億人
三位ソウル 24億人
四位ニューヨーク 15億人

東京都23区山手線の内側に徒歩10分圏内に必ず駅が存在する(93駅)

1927年日本初の地下鉄が浅草〜上野間で開通した理由は
浅草が当時東京一の繁華街で交通量が多かったからである
交通量測定の結果、浅草〜上野 銀座 新橋などの交通量が多いことが分かる
これらの人達の運搬する目的で計画された
しかし、計画途中に関東大震災が起こり(関東大震災 1923年浅草をはじめ東京に甚大(じんだい)な被害をもたらした大地震)
東京の復興(ふっこう)にも大きく貢献することとなった
開業当時地下鉄の運賃は10銭均一(きんいつ)で自動改札だった
当時は均一料金で現金を入れると乗客が通るバーが動くシステムだった(地下鉄博物館に当時の自動改札まだ残っている)
10銭以外の硬貨を入れてもバーは動かず、箱の下段から返却される仕組みになっていた

東京銀座のメトロ地下鉄に早川徳次の銅像があります(日本の地下鉄の父と呼ぶ)
早川徳次(1881~1942):
大学卒業後、南満州鉄道に就職、その後いくつかの鉄道事業に携わる(たずさわる)
33歳の時、早川は会社を辞め、鉄道と港の関係性を調査するため、欧米(おうべい)に向かった
1914年ロンドンへ、世界有数の大都市ロンドンの中心街には路面電車すら走っていなかった
そのとき、電車が地下を走っている光景を見た(ロンドンの地下鉄は世界初の地下鉄1863年開業)
その時期、東京市電:旧東京市が経営していた路面電車、最盛期(さいせいき)には41系統、総延長213km
ロンドンの地下鉄見た後、地下鉄建設を決心した早川はロンドンの調査後、パリやニューヨークも調査し帰国
帰国後
東京の地質(じしつ)が軟弱(なんじゃく)だったため、地下鉄建設は疑問視された
そのとき、早川は地下鉄の有効性を証明するため、自ら街道に立ち、交通量の調査を行った
当時はカウンターが無かったため、乗客や馬車を手に持った豆に置き換え、ポケットに入れていくことで数を数えた(かぞえた)
さらに、何人も地質学者を雇い(やとい)、東京の地盤の安全性を証明した
当時、世界的な不況が日本を襲い(おそい)、資金の調達も困難を極めた(きめた)
幾多(いくた)の苦難(くなん)を乗り越え、
1925年9月27日、日本初の地下鉄着工(当時早川43歳)
地盤の崩壊やトンネル内の火災などにより、工事は度々ストップした
そして、二年をかけ、1927/12/30日本初の地下鉄開業
当時、乗り切れない乗客の行列は上野駅から、上野公園西郷像まで約200mほど続いていた
現在の東京メトロ銀座線 浅草〜上野(2.2km)、三分間隔(かんかく)で運転、1両編成(へんせい)、乗車時間4分50秒
開業初日だけで、10万人の乗客数

多くの地下鉄は地上にある道路の下を走っている
土地の権利が地下にも反映されるため
私有地は所有者の許可がなければ、地下鉄といえども、掘ることはできない
道路は公共物ので、その下に地下鉄を作るが多い

渋谷区の代々木公園の地下には、電車を止めて置くための空間がある、代々木公園留置線と言う
代々木公園南側の地下、千代田線の明治神宮前駅と代々木公園駅の間に10両編成が8本分格納(かくのう)できる

東京メトロ銀座線の渋谷駅が地上高くにある理由は
渋谷の街が谷の底になっているからである
表参道と渋谷の地表の高さはおよそ18m違う
深さ8mの表参道駅とほぼ同じ高さにするため
ビルの三階部分に渋谷駅を造った

JR線では電車の進行方向を東京駅を基準に「上り」、「下り」で表すが
東京メトロではアルファベットを使って表す
JR東京メトロ
上りA線
下りB線
例えば:
銀座線:浅草から渋谷はA線、渋谷から浅草はB線
日比谷線:北千住から中目黒はA線、中目黒から北千住はB線

東京メトロ有楽町線の路線名は社内選考ではなく、公募によって決められた
有楽町線は公募で名称が決まった初の路線である
最も多く寄せられたのは一位の麹町線だったが
二位は有楽町線、五位は有楽線が入ったため、有楽町線に決定し

南北線、副都心線、丸の内線、千代田線の北綾瀬〜綾瀬(あやせ)を含む
運転士はハンドル操作による、運転を行っていない
ATO (Automatic Train Operation):自動的に列車を運転する装置、緊急時に備え(そなえ)いつでも手動運転ができるように、ハンドルは握っているが操作は行っていない

東京メトロのトンネルには信号機はない
車内信号方式と言いまして、東京メトロでは2現示(げんじ):R(停止)かG(進行)しか出ません
地下鉄はカーブが多いのでカーブの先に信号があると見えない、運転台に信号が付いていると、目の前で見られます
ちなみにトンネルは景色などの目標がないので運転の目安として標識がより重要になる
(地上用標識一辺35cm、トンネル用標識一辺20cm)

地下鉄の車両にはパンタグラフがついていないものがあるが、これは電気をレールからとっているためである
レールと一緒にしかれている第三軌条(きじょう)(サードレール)というもので東京メトロ銀座線と丸ノ内線はこの方式を採用
トンネルを小さくし、工期やコストを抑えるため

東京メトロは番線によって構内アナウンスの性別が異なる(ことなる)
基本的に数字が少ない番線が女性、例えば1番線は女性、2番線は男性の声
構内アナウンスの混同を防ぎどの番線に電車が到着するかをより分かりやすくするための工夫である

東京メトロには地下鉄では唯一踏み切りがある箇所(かしょ)がある
場所は東京メトロ銀座線の上野駅付近で車両基地へ向かう線路の途中にある
地下から地上へ上がった線路が道路を横切るために踏み切りが設けられた(もうけられた)

東京メトロ南北線の市ヶ谷駅(いちがやえき)には江戸城の石垣(いしがき)がある
石垣は市ヶ谷駅南北線コンコース中央にある、江戸歴史散歩コーナーで見ることが出来る
南北線建設時に発掘(はっくつ)された、石垣の石を用いて(もちいて)再現したものである
東京メトロ南北線(溜池山王駅(ためいけさんのうえき)〜飯田橋駅(いいだばしえき))は江戸城の外濠(そとぼり)近くを通るである

かつて東京を走っていた地下鉄の車両は現在海外で活躍している
日本の地下鉄が海外で活用されているケースは珍しくない
旧丸ノ内線:車両はアルゼンチンのブエノスアイレスで走っている
旧東西線:車両はインドネシアのジャカルタで走っている



地下鉄の色は1970年東京都と營団地地下鉄(当時)の間で話し合いで決定された

地下鉄の車両はJRや私鉄と相互(そうご)乗り入れをしている場合は乗り入れ先の地上区間から車両を入れる、或は通常運転では使用しない連絡線を通って車両を搬入することがある

地下鉄の深さが違う理由は、トンネル同士がぶつからないように、新しく造る路線の方を深くする