2009年7月2日木曜日

地名の由来~東京編

1. 東京の京とは京都の略である
 それまで都が置かれてた京都より東にある都〜東の京都=東京
 京という漢字ー>都の意  東にある都=東京
2. 江戸幕府に貨幣を鋳造していたことからついた地名が銀座である
 静岡県にあった銀貨幣鋳造所のことを銀座と呼んでいた
 1612年銀貨幣鋳造所が現在の銀座二丁目へ移転しそのまま地名となった

3. 八重洲という地名はオランダ人の名前に由来する
 徳川家康に外交顧問として仕え、この地に邸を与えられたオランダ人航海士ヤン.ヨーステン(和名:ヤヨウス耶楊子)
 ヤヨウスー>八重洲(やえす)と名付けられた。

4. 有楽町という地名は織田信長の弟織田長益が徳川家康から土地を授けられたことに由来する
 織田長益は有楽斎(うらくさい)とも呼ばれた茶人で江戸幕府が開かれた時
 初代将軍の徳川家康から数寄屋橋周辺の土地を授けられた
 以来、この辺りを有楽原(うらくはら)、有楽ヶ原(うらくがはら)と呼ぶようになり
 明治時代に有楽町(ゆうらくちょう)と地名がつけられたと言われている

5. 中央官庁の代名詞霞ヶ関はかつて絶景スポットだった
 この地から雲や霞のたなびく絶景が眺められたことから霞ヶ関と名付けられたと言われる

6. 半蔵門の半蔵とは忍者として有名な服部半蔵(はっとりはんぞう)にちなんだ名前である
 半蔵門:江戸城(現在の皇居)にある門の一つ
 警備を担当した徳川家の家来服部正成、正就父子の通称半蔵に由来する
 まだ、
 虎ノ門:江戸城の南端にあった門の名前が残ったものと言われている

7. 田、田がつく地名はかつて田んぼだったことが多い
 田端:田んぼの端っこに開いた村であることから名付けられた。
 五反田:田んぼの一区画が0.5ヘクタールだったことから名付けられた。
 五反田という地名は千葉、茨城、埼玉、群馬、新潟、石川、滋賀、静岡、三重、京都、島根、愛媛、長野など全国各地にある
 全国的に多い田がつく地名は神田
 東京の神田は伊勢神宮に米を納めるための田んぼがあったため神田と呼ばれるようになったと言われている
 全国地名にある神田という地名のほとんどが神社の運営経費にあてる田んぼがあった場所。
 田無市:畑ばかりで田んぼの無い村という意味から名付けられたといわれている。2001年に保谷市と合併し、西東京市になった。

8. 渋谷とはこの街を流れている、川によって作られた谷と言う意味である
 渋谷川 新宿御苑から渋谷駅前を流れ、天現寺からは古川と名を変えて東京湾へ注いでいる、
 この川の水が鉄分を多く含みシブい色をしていたことから、
 渋(しぶ)と言う文字が使われるようになったと言われている。

9. 三軒茶屋は江戸中期の社寺参拝ブームで賑わった
 三軒の茶屋にちなんでいる
 商売繁盛の神様とされていた丹沢の大山に出かける人が利用した道路大山道と登戸道の分岐点があった
 そこに三軒の茶屋(田中屋、石橋屋、角屋)が並び参拝に詣でる人々の休憩所として、
 繁盛したことから三軒茶屋の地名が定着した 
 現在も三軒茶屋交差点には大山道と言う道標が残っている

10. 代々木とは長いあいだ生えていた木と言う意味である
 代々木の地名は現在明治神宮東門近くに代々モミの大木があったことに由来すると言われている

 六本木とは木に関係した名前を持つ
 六人の大名の屋敷があったことにちなんでなつけられた。
 (青木氏(あおき)、一柳氏(いちやなぎ)、上杉氏(うえすぎ)、片桐氏(かたぎり)、朽木氏(くつき)、高木氏(たかき))
 まだ、かつてこの地に六本の松の木が存在したことに由来するという説もある

 赤坂の語源は「土が赤い坂」と言う説や、急な上がり坂と言う説がある
 あがり坂があか坂へなまったと考えられている。

 白金という地名はこの地に住んでいた富豪のあだ名に由来する
 しろかねとは銀の別名である
 十四世紀後半にこの一帯を支配していた、
 豪族.柳下上総之介は多くの銀を蓄えていたことから白金長者と言われていた
 現在でも、港区白金台にある国立自然教育園には白金長者屋敷という古城址がある

11. 大塚;古墳があったことに由来する、全国三百か所以上にある地名
  大塚は古墳があったことに由来する典型的な地名
  (塚が付いたら古墳だ!)

12. 台場とは1853年幕府に開国要求を迫ったペリー艦隊に対抗するために建設された砲台のことである
  お台場:幕府に敬意を払って台場に御をつけ、御台場と言ったことからきている

 浜松町の浜松は静岡県の浜松からきている
 元々は芝の増上寺の代官.奥住久右衛門が名主を務めていたため久右衛門町と呼ばれていた
 しかし、1969年現在の静岡県西部遠州浜松出身の権兵衛が名主となり町名が久右衛門町から浜松町に変更された

品川とは砂川が変化した地名だと言われている
砂川とは目黒川のことで砂が水を吸収し、河口が見えなかったため砂川と呼ばれた
それが、いつしかなまってすな川ー>しな川(品川)と考えられて言う
まだ、目黒川の河口付近にかつて港があり、多くの品物が取り扱われていたために
品川と呼ばれるようになったと言う説もある

自由が丘とは元々昭和六年に作られた高校の名前である
自由ヶ丘学園高等学校は手塚岸衛が自由主義教育を掲げ昭和六年に開校
かつてこの地は衾村(ふすま)と呼ばれていたが
学校名が定着するにつれて自由ヶ丘(現.自由が丘)と改称された

世田谷にある用賀の地名の由来はヨガであると言われている
平安から鎌倉初期にかけてこの地で僧侶の修行のためヨガ道場に近いものが開かれた
当時、修行の場になったのが用賀駅から徒歩二分にある真言宗真福寺
真福寺の山号は瑜伽山(ゆうが)といい
この名はサンスクリット語のヨガに漢字を当てたものである
このヨガー>瑜伽(ゆうが)ー>用賀(ようが)

日暮里とは日が暮れるまで過ごしても飽きない里と言う意味である
元々は新しい堀があったことから、新堀(にいほり)と呼ばれていたが
江戸の享保(1716~1736)の時代、この地が高台にあり眺めがよいことから
日が暮れるまでいても飽きない里と言う意味で日暮らしの里と呼ばれるようになり
日暮らしの里ー>日暮里(にっぽり)

宿が付く地名はかつて宿場町だったことが多い
東京都新宿区は新たら宿場ができたことにちなんでなつけられた
原宿は江戸時代から明治初期にかけて原宿村と言う宿場町が存在していた

秋葉原という地名がついたきっかけは
明治二年に起きた火事である
明治二年十二月十二日の深夜、大火事が起きて外神田一帯が焼けてしまった
そこで明治新政府はこの辺り一帯を火除地(ひよけち)とし
さらに翌年には火除けの神様、秋葉(あきば)大権現を招いて鎮火神社を設けた
この神社が神様の名前から秋葉神社と呼ばれるようになると
この一帯も秋葉原(あきばはら)と呼ばれるようになった
現在この地をアキバと呼ぶのはこの辺りの事情が関係している(あきばはらー>アキバ)
かつての国鉄がこの地に新しく駅を作るときに、
駅名をあきばはらではなく秋葉原(あきはばら)としたため
この名前が地名として一般に広まるようになった

二つの国にまたがると言う意味で名付けられた地名が国技館で有名な両国である
かつて、隅田川は武蔵国、下総国の国境をなしていた
隅田川に架けられた橋が二つの国を結ぶことから、両国橋と名付けられ
その周辺を両国と呼ぶようになった

隅田川沿岸には昔から砂地が多く
大きな植物が生えないことから浅草という地名が付いた
浅々しき草の意味である
浅草の合羽橋には河童が土地を整備したという伝説がある

江戸時代雨具店を営む(いとなむ)合羽屋喜八は地元がすぐ洪水になることから自分の財産を投げ打って
川を堀って水路を造る工事を始めた
その工事に感動した隅田川の河童たちが事業を手伝ったという地元の伝承(でんしょう)から
ついた地名だと言われている

こちら葛飾区亀有公園派出所でおなじみの
亀有と言う場所は元々は亀梨(無)(かめなし)という地名だった
亀は縁起が良い動物のため、亀なしでは縁起が悪い
そこで亀有という地名に江戸時代初期に改められた

埋立地
築地:全国各地にある築地と言う地名は元々は埋立地だった
東京都中央区の築地は浅草の本願寺を移転させるため、海を埋め立てたことから名付けられた